哲学とひとことで言っても、文脈によっていろいろな意味で使われます。
一般には、経営哲学や政治哲学、成功哲学などそれぞれの分野における根本的な考え方、という意味で使われることが多いのではないでしょうか。
哲学の歴史においては、学問全般を指すことが多いようです。倫理学、物理学、論理学などです。ですから学問に通じている人たちのことを哲学者と呼んでいました。
哲学は、あまりにぼんやりしすぎて捉えようがないという印象があります。
また、ソクラテスやアリストテレス、カントなど名前は聞いたことあるけど、なんで有名なのかいまいちよくわからない、という人も多いのではないでしょうか?
哲学は、今日の様々な学問の基礎になっています。
今回は、哲学の大枠を理解するために、専門影向をなるべく使わずに分かりやすく哲学史と哲学者について解説してみたいと思います。
哲学の始まり
古代ギリシャにおいて、なぜ人間が生きているのかと思ったところから哲学が始まりました。
紀元前700年ころ、ギリシア神話が書物にまとめられました。科学がなかった時代、なぜ突然雨が降るのか、なぜ雪は解けるのか、なぜ太陽はのぼって沈むのか、などの自然の営みを自分なりに納得できる形で物語にしていたのでしょう。
紀元前600年ギリシアなどの都市国家では肉体労働は奴隷が行っており市民は政治や文化に専念していました。
最初の哲学者は自然哲学者と呼ばれています。
自然とその営みに関心を持っていたからです。ギリシアの自然哲学により、人間の思考は神話の世界観から離れていきました。
デモクリトス(紀元前420年ころ)
自然哲学者です。
自然哲学者は何よりも自然を探求したので、科学の発展にとってとても重要でした。
すべては目に見えないほど小さなブロックが組み合わさってできており、そのブロック一つ一つは永遠に変わらないと考え、一番小さなブロックを「原子(アトム)」と名付けました。
「原子(アトム)」は永遠で変化せず、分けられないと考えたのです。
デモクリトスは自然の営みに意識の力が働くとは考えておらず、どんな意図もなく自然の不変的法則に従って機械的に動いていると考えていました。
「物質(マテリアル)」しか信じていなかったので「唯物論者(マテリアリスト)」と言われています。
ソクラテス(紀元前420年ころ)
ソクラテスは、自然哲学から離れ、人間と社会について考えました。
道徳哲学(倫理学)の祖と言われています。
人間のモラルと社会の理想や美徳は不変なのか?ということを追求しました。
この時代、ソフィストと言われる、学問を教える人たちがいました。
ソフィストは、人間のモラルや社会の理想は、都市国家ごとに違うと考えていました。
しかしソクラテスは、人間のモラルや社会の理想は不変であり、永遠の掟がある、理性を働かせれば理解できると考えました。
「無知の知」→最も賢い人は、自分が知らないということを知っている人だ
人間は何が正しくて何が正しくないかを知らない、何が正しいかを知っていれば、人は正しいことをする、信念に沿った正しいことをすれば、人は幸せになれるという考えです。
無知を装い、相手に対して問いを投げかけ、話すにつれて相手が自分の考えの誤りに気付くように会話をリードすることによって、人間に人生と習慣、善と悪について考え、人が正しい理解を生み出す手伝いをしました。
プラトン(紀元前400年ころ)
プラトンはソクラテスの弟子です。
ソクラテスの哲学を発展させ、永遠なもの、不変なものがあるということについては何かということを追求しました。
プラトンはイデアという型が、永遠なもの、不変なものであると考えました。
あらかじめイデア界に存在しないもの、自然界には存在しないと考えました。
このイデア論をもとに、数学、天文学、自然学、倫理学、政治学について説明しました。
アリストテレス(紀元前350年ころ)
アリストテレスはプラトンの弟子です。
あらかじめ感覚に存在しなかったものは意識の中に存在しないという考えでした。
さまざまな学問の基礎をつくり、整理整頓した偉大な哲学者です。
これまでの哲学は、いろいろな学問の寄せ集めでした。
アリストテレスは、それを倫理学、自然科学、文学、医学、物理学、気象学…など体系的に分類しました。
また、アリストテレスは、過去の自然哲学者が主張したことをまとめ、現実は「形相=そのものの固有の性質」と「質量=そのものを作っている素材」が一体となってできたものから成り立っているという自然哲学を打ち出しました。
その後、哲学の概念を整理して、「論理学」という学問を生み出します。推論や照明が論理的に正しいかどうかを判断するための厳密な規則を建てました。
例えば、こんな感じです。
- すべての生き物はいつか死ぬ(第一前提)
- 犬は生き物だ(第二前提)
- 犬はいつかは死ぬ(結論)
中世の哲学(400-1400年ころ)
西洋では、ローマ帝国の分裂から東ローマ帝国の滅亡、ルネサンス及び宗教改革までのおよそ1000年間の時代を「中世」といいます。キリスト教が中心の時代です。
中世の哲学者にとって、キリスト教は真理でした。キリスト教と理性は矛盾しないだろうか、というのが中世の哲学者の研究テーマでした。
アウグスティヌスは、プラトンの哲学とキリスト教を結び付けました。
また、トマス・アキナスは、キリスト教アリストテレスの哲学は矛盾しないと考えました。
ルネサンス(1400年~1600年)
ルネサンスは再生を表すフランス語で、古代の人間中心主義の文化を復興しようとする文化運動です。
「人間は罪深い」という中世の考え方から、「人間には無限の価値がある」という新しい人間観に代わっていきました。
コンパスと鉄砲により、ヨーロッパ人はアジアやアメリカなどの文化よりも優位に立ちました。
また、印刷技術が確立され、新しい考え方が広まっていきました。
これらの発明によりルネサンスと言われる時代が始まりました。
この時代から、教会の教義やアリストテレスの自然哲学をやみくもに信じることを止めることで、科学が大きく進歩し、技術革新へとつながっていきました。
イギリスの哲学者、フランシスコ・ベーコンは「知は力だ」と言いました。知を現実に活用し、自然をコントロールするようになりました。
コペルニクスは、地球が太陽の周りを回っているという「地動説」を唱えました。
ガリレオ・ガリレイは、慣性の法則を発見しました。
力を加えない限り、止まっている物はそのまま止まり続け、動いている物はそのままの速さで動き続けるという法則です。この法則により「地動説」を裏付けました。
アイザック・ニュートンは、万有引力の法則を発見しました。この法則により、地球が太陽の周りを回っていることを説明しました。
哲学における考え方の一つである「唯物論(存在はするものはすべて物質的なものという考え方)」は、新しい自然科学によって補強されていきました。
唯物論と反対の立場の考え方を「観念論(存在はつきつめれば精神的なものであるという考え方)」といいます。
デカルト(1630年ころ)
デカルトは合理主義者で、「自分の認識のたしかさ」「人間の認識の基礎」を追求しました。
合理主義とは、あらゆる認識の基礎は意識の中にあり、理性や論理が物事を支配していて、この世に存在理由をもたないものないという考え方です。
自然科学の分野では、自然過程を正確に説明できるようになっていたので、人間の心は何に属しているのか、精神や魂はどのようにして肉体に影響を及ぼすのか、など体と意識の関係についても正確に説明できる方法はないかを考えました。
デカルトは、プラトンやアリストテレスの哲学を頼りに探求を進めるのではなく、ヨーロッパを旅することで経験を積み重ね自分自身の哲学を打ち立てようとしました。
デカルトは、何もかもが疑わしいがたった一つ信じていいことがある、と思いつきました。
疑わしいと考えている自分が確かに存在するということです。
我思う、故に我在り
デカルトは、「身体と心の関係」という大きな哲学の研究テーマに最初に手を付けたのです。
ロック(1690年ころ)
ロックは、知識や真理の性質・起源・人が理解できる限界などについて考察する認識論という哲学の分野の一つについて、経験主義という考え方で説明しました。
経験主義とは経験によって、観念(これはこういうものだという意識)が作られるという考え方で、世界の中のあらゆる知識を感覚の中から引き出そうとしました。
またロックは、自由と平等な権利に基づく政治哲学者でもあります。
ヨーロッパの絶対王政を批判し、誰もが自由であり、誰もが他の者の諸権利に関与する権限はないと主張しました。
ただ、社会の秩序を守るために、政府に権利に対する介入を認めました。
これがのちのモンテスキューによる三権分立論(司法権・立法権・行政権)にまで発展していきます。
カント(1770年ころ)
カントは、合理主義・経験主義のどちらにも詳しく、どちらにも一理あり、どちらも少しずつ間違っているという立場を取りました。
デカルト、ロックと同様、「正しい」認識とは何か、どうすればそれを獲得することができるかというのが研究テーマです。
認識の出発点は感覚を通してやってくる、一方で、世界をどう認識するかは理性の中にあると考えました。
そしてカントは、真理、自然の奥底にある秘密は認識できないがたどり着けないにしてもどこかにある、と言いました。
またカントは、道徳の本質についても考えました。
経験も理性も及ばない場所が信仰であり、人間には不死の魂があり、神は存在し、人間には自由意志があることが、道徳にとって必要だと言い、キリスト教の信仰を守りました。
カントは倫理学についても考えました。
カントは心構えに注目します。
人が何を正しい、何を間違っていると考えるのは重要ではなく、正しいことや間違ったことにどうかかわろうと決断するかが大切だ、と主張しています。
ヘーゲル(1820年ころ)
ヘーゲルは、「真理は主観的なものである」と考えており、カントの考え方とは異なっていました。
歴史は対立物の緊張関係が変化により消えることによって発展していくと説明し、歴史を動かす力を世界精神や世界理性と呼び、精神が物質的な状況の変化をもたらすと考えていました。
ヘーゲルは哲学の世界を考える方法を生み出しました。
歴史を観察することにより、新しい思考はそれより前の思考を踏まえて立ち上がっていることに気づきました。→①
新しい思考が立ち上がると、別の新しい思考が立ち上がり、反論を受けます。→②
そして、対立する二つの思考のいいところを取って、第3の思考が出来上がります。→③
ヘーゲルはこの一連の流れを「弁証法的発展」と言いました。
「①テーゼ(定立)=最初の命題」「②アンチテーゼ(反定立)」「③ジンテーゼ(総合)」とも言い表しています。
合理主義(デカルト)のテーゼと経験主義(ロック)のアンチテーゼカントが、カントによって総合され、発展していきました。
矛盾するものを更に高い段階で統一し解決することにより、ジンテーゼを得る、これをアウフヘーベン(止揚)と言います。
そしてカントの総合は、次のテーゼになり、新しいアンチテーゼが生まれていく、という流れです。
マルクス(1850年ころ)
これまでの哲学は、世界をどう解釈するかがテーマでしたが、マルクスは哲学により世界を変える方法を主張しました。
マルクス主義と言われる思想です。
ヘーゲルに対しマルクスは、歴史を動かす力は物質的な状況の変化であり、それが新しい精神をもたらすと考えました。
1850年代のヨーロッパ社会は、プロレタリアという多くの貧しい労働者が奴隷のように働き、ブルジョワ(お金持ち)に搾取されるという構造でした。
これを不公平だと思ったマルクスは、哲学を生かして、どうすれば資本主義社会から共産主義社会に変われるか、という問題に取り組み、「共産党宣言」を発表しました。
※※共産主義と社会主義、厳密には「能力に応じて働き、労働に応じて受けとる第一段階」=社会主義と、「能力に応じて働き、必要に応じて受けとる」という「高い段階」=共産主義という区分があるようですが、基本的には同じ意味で使われることが多いです。
マルクスの社会主義運動によってヨーロッパが社会主義になったわけではありませんが、少なくとも現代ではマルクスの時代よりも公平なまとまりのある社会となっています。
ダーウィン(1850年ころ)
1850年ころの哲学は、自然、環境、歴史、進化、成長がキーワードでした。
ダーウィンは生物学者ですが、その主張によって聖書の人間観を強烈にグラつかせました。
「種の起源」です。
今あるすべての動植物は、古くて単純な形のものから進化した、そしてそれは、生存競争による自然選択の結果であるといいました。
この主張はすさまじい論争となり、神の創造に言いがかりをつけられた教会は最も激しく非難しましたが、最後には科学の先駆者として尊敬されるようになりました。
私たちの細胞一つ一つに40億年も前からの進化のプロセスが記憶されており、それらでできている私たちの目でこの世界を見ること、何か特別な意味があるのかもしれません。
実存主義(1900年~)
実存主義とは、すべての人に当てはまる本質を追求する合理主義から離れ、一人一人の人間のありかたを追求する考え方です。
ニーチェ
ニーチェは、「奴隷の道徳(=キリスト教の道徳)」こそ覆さなければならない価値観であると主張しました。
要領がよく自分勝手でいい思いばかりしている者は「悪」、報われなくとも努力を続け自己犠牲の精神を持っている者は「善」、という価値観(=奴隷の道徳)を否定しました。
強者は「悪」、弱者は「善」とされる裏側には、弱者こそ「善」であると形式づけたほうが都合良いと考えた人々による、戦略的道徳である可能性があり、古い価値観にこそ疑いの眼差しをむけてみるべきだと考えました。
そして、新しい価値を作り出すために力を発揮すべきだといいました。
価値や道徳の規準だった「神は死んだ」
サルトル
サルトルは、人間の実存は人間の本質よりも先にある、といいました。
「人間はこういうものである」という本質はなく、自分をゼロから作らなければならないと考えました。
実存は本質に先立つ
またサルトルは、人間は自由であり、自分で何もかも決めるからこそ、自分がしたことの責任からは逃れられないとも言っています。
つまり人間は自由に自分をを作り上げていける存在だが、決断は社会全体に責任を負い、自由に伴う責任を自覚して行動することにより真の実存が確立されると主張しました。
以上、哲学について解説してみました。
人間の思考は玉石混交です。
新しい考え方が何でもいいといえないし、古い考え方を何でも捨てればいいというものでもありません。
哲学を知ることで、人間の思考の歴史という背景を理解できます。
そのうえで自分の頭で判断し、決断し、行動すれば、自分が進むべき方向を見つけられるのではないでしょうか。
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